盛んな情熱を以て、諸事件の間に心靈的親和力を見とめ、世界の重大な現象を自由に取り扱つて居るのを見ても、心靈の力は偉大なことが知れるのである。
 第三に、詩人はそういふ風にして美を目的とするが、哲學者は眞理[#「哲學者は眞理」に白三角傍点]を目的とするので、萬物の秩序と關係とを自家の思想中に組み立てゝしまう。プラトーンが云つた通り、『哲學の問題は、條件附きで存在して居る事物の爲めに、無條件絶對の根據を發見してやる』のである。エメルソンは、之を詩人に劣らない偉業として、心靈力の證明に入れてある。――尤も今日の樣に、哲學者となるべきもの等が科學に降服して、あツちの實驗室、こツちの講堂で、重箱の隅をほじくり合つて居るのは、斷然取らないのである。
 第四に、心的科學をやつて居ると、どうしても、物質の存在を疑ふやうになる[#「心的科學を」〜「疑ふやうになる」に白三角傍点]――之を疑はないものは、もう、形而上の探究に向いて居ないものである。苟もこの疑問に到着すると、必らず不滅、必然、自存の自然物――云ひ換へれば、諸觀念――に注意することになるだらう。プラトーンはこの觀念に向上的階段があると思つて居たが、兎に角、觀念の前へ出ると、外界は影か夢かの樣になつて、自然は心靈に歸してしまう。そうなれば、世界は一大靈物[#「一大靈物」に白丸傍点]の思想が現はれて居るのだと分る。――この大靈物とは、エメルソンの論文が至る處に歸着する思想である。
 第五に、宗教と倫理[#「宗教と倫理」に白三角傍点]――これは、前者は神に對する義務を、後者は人に對する義務を教ゆる違ひはあるが、自然を足下に踏みにじつてしまうのは一つである。プロチノスは――これは、メーテルリンクも好んで引用してある神學者だが――物質を甚しく忌み嫌つた極、自分の身體を耻ぢて居た位だ。見える物は移り變はる物、見えない物は久遠だといふのが、宗教の最初であつて、また最後の教へである。――尤も見える、見えないと區別するのは、詩人から云へば、をかしな方便ではあるが、宗教家は見えない物に心靈の意義を附して行くのだ。
 以上は、エメルソンが唯心論を證明して居る件であつて、論理上から云へば、あまり平凡な樣だが、僕等の受ける教練には、すべて唯心論の色が染みて居るので、自然なる物の位置[#「自然なる物の位置」に傍点]さへ定まれば、この論が宇宙の事物を説明
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