――フロツクコートの學者と宗教臭い俗物とは、こと更らに肉慾を否定するだらうが、存在する肉慾を否定――進んで云へば、斷滅――することが出來るなら、意志を斷滅すると同樣、世界の滅亡を意味するのである[#「存在する肉慾を否定」〜「意味するのである」に傍点]。また、眞宗の僧侶や大抵の耶蘇新教徒の樣に、肉靈二元論の見地に立つて、※[#「※」は「者」の下に「火」、読みは「に」、350−29]え切らない折衷説を持するのは、僕の潔しとしないところである。渠等の立ち塲は徹底して居ない、またその傳道は眞率でない。よしんば、眞面目であるにしろ、渠等の根性が卑怯であるから、たとへば、海底に輝いて居る眞珠を欲しがりながら、表面に嚴丈な金網を張つて、その上を東西にかけ廻る樣なもの――渠等に眞正の寳を得る時があらうものか。たゞ世間を憚つて、非信を宣し得ない歐米の紳士と好一對である。肉慾を蔽ふものは、その眞率の度に於いて、凉しい風を公然と飛び行くつがひとんぼにも劣つて居る[#「肉慾を蔽ふものは」〜「劣つて居る」に白丸傍点]。肉慾ぐらゐを隱くさないでも、なほ神秘なものが澤山人間にはあるではないか、そんなことに拘泥するから、却つて之に入ることが出來ないのである。
罪と肉とを離れたら、その人は靈のものとなることが出來る、これはスヰデンボルグが『生命の教義』である,然し、僕の説の通り、靈も亦肉ならば、それを離れられよう筈はない。『女を見て色情を起したるものは、その心すでに姦淫したるなり』、これは耶蘇の教へである,然し、美人を見て色情の動かない樣なものは、その心すでに不具だと云はなければならない。ダンテの戀[#「ダンテの戀」に傍点]を聽いて、青年は非常にその純潔なところを喜ぶが、そんな意氣地なしの頭腦では、到底宇宙の眞相を知ることは六ケしいだらう。ダンテが拾歳の時ビアトリースを見てから、終生片戀をつゞけたのは大詩人であつただけ、ませて居たので、その時すでに肉を滿足させた點があつたからで、他に嫁したビアトリースに對しては、たゞ未練が殘つて居たに過ぎなからう。若しダンテに大きいところがあるとすれば、スヰデンボルグが三百|哩《マイル》[#入力者注(5)]遠方から自分の住地の火事を見とめたと同前、その肉を滿足させた仕方が、抱擁以外にあつたことだ[#「若しダンテに」〜「抱擁以外にあつたことだ」に白丸傍点]。僕はこの
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