者には殊に多いのに、この人を知り、その夫人を知って、教授の心の領域が聖者にも近いものがあると私は感じたのであった。教授の宇宙を越え得べき精神思索、理想探求の奥は窺うこともできない私ではあるが、そのポツリ、ポツリ話し出す言葉を、私は、あたかもロダンの芸術にでも接するように、むさぼり味わったのであった。

 私は、この人は東洋のさびもわかる人である、とも思った。お能を見たとき、伶人の古楽をたのしみきいたとき、その批評がなかなか堂に入ったものであった。『改造』の十五年を叙して、思わぬ横町の風景にまではいってしまったが、私は教授の如く、文明、文化、百年、千年のため、常に第一義的聖線に立ち得る資格について、深刻な瞑想にさそわるることもたびたびあった。自分たちは今、いかなる人間としての役割についているのか。発売禁止とか、切取りとかの険を冒して、何のために営々努力しているのか。われわれの最後の一線は、どこにあるのか。文化のためとか、文明のためとか、国家や、民族のためと、漠然とは言い得るにしても、さて、具体的にわれわれの方途を解剖し、理論づけることのできないプアな状態にあったその当時の私であった。


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