方の学問には聾唖で、こんな深奥な理論などは皆目わかるはずがない。しかし、その人格的に感じたことから推しても、市井で眺めたり、つき合ったりする人びとより、一まわり、二まわりの大きさを感ぜずにはいられなかった。
教授は音楽が好きであった。ベルリンからヴァイオリンを携えて日本に来朝したのであったが、日本内地を旅行中も、夕食後の気もちのいい時などには私などを慰める意味もこもっていたであろうが、ときどき提琴をきかさるるときがあった。私はそのとき、あの大きな頭や、あのふくよかな顔をつくづく見入るのであったが、その瞬間ほど教授にとりて幸福な時間はないようであった。すべてを打ち忘れ、あらゆるものを超越し、身の苦悩も、身の海外万里の地にあるのも打ち忘れて満身法悦にひたっているように見られたのであった。
私は、教授の思想と、夫人との思想的立場が、どうであろうかはもちろん知るによしなきことではあるが、しかし、夫人を愛するというよりは、いたわりつつむ至人的の態度にも打たれたのであった。
夫婦の地位、教養の距たりは、ともすれば一方を侮蔑するがような、もしくは、心の窓を三分の一も展かないようなものが有識
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