ルニクスや、ガリレオよりも偉大であったであろう。

 私は全世界の思潮を風靡したるこの大偉人と、四十日間に亙りて起居を同じくし、芸術の話や、音楽の話、さては社会、経済の諸機構の話に至るまで何かといい指示を受けた。ただ、いつか私に対して「自分は数学が得意でないから」と洩らしたことがある。私は理論物理の不世出の偉人にしては、ずいぶんおかしいことと思って、さらにきき直してみたことがあったが、やはり、それは私の誤りではなかった。教授はまた数学では有名な京大の園正造教授にただし、もしくは石原純氏にたいして、いろいろ相談的の会話があるのを聞いたことがあった。そして東北大学金属科の本多光太郎さんにたいしても、ある質問をするのを見受けたことがある。

 私は思った。もうこれほどの人物になれば、自分の地位とか身分とかいうものを超越する。国家をも、国際をも超越する。一つの長所を尊敬し、そして自分の不足をいつまでも補って行こうとする真理探究者のあの謙虚な態度に頭が下がったのであった。これだけの態度を見せさせられただけでも、私は今回教授を招いた価値のとても高貴であったことを感ぜずにはいられなかった。私は、この
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