渡欧してもらったのであった。
もっとも、そのことを決するまでには、いくたの我が理学者たちの意見もきいたのであったが、異口同音に、「それは大学でもかねがね招びたく思っているのであるが、その費用がないので」とのことがあった。
かくて十一月十八日アインシュタイン教授夫妻は東京駅についた。その夜の光景はまるで凱旋将軍を迎うる如く、プラットホーム及び停車場の広場は数万の人の山で、教授夫妻は三十分近くもプラットホームに立往生したのであった。
教授は滞日中、東京帝大の特別講演をはじめ、その他京都、大阪、神戸、仙台、福岡で画期的長講演をして、至るところ、偉人としての風貌を慕われた。そして、帝室の御殊遇を始めとし、帝国学士院でも前例のない歓迎辞を穂積院長の名を以て公にした。その内容は、「ガリレオ、ニュートンらが、力学と物理学とにおいて首唱せる原理は二百年来、万世不易なるべしと考えられていたが、教授は別天地より宇宙の状勢を洞観し、遂に時間と空間との融合を図り、以て自然現象を究明するの針路を開かれたその業績の大なる、実に古今独歩である」というにあった。なるほど、彼の思想的革命はニュートンよりも、コペ
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