。芥川龍之介の如きは、明治以来の何人も企及することのできぬ出来栄えの確かな傑作であると賞揚した。それまで志賀氏は短篇作家として十枚、二十枚のものを発表していたが、本篇は数年に亙って『改造』に連載された。また、谷崎潤一郎氏の中篇小説「愛すればこそ」「卍(まんじ)」も非常の歓迎を受けた。その他、評判の高かったものも多いのであるが、これらについては『改造』十周年号に千葉亀雄氏が批評したものと重複するからここに省くこととする。

 私は、五、六年前までは、たいていの小説や戯曲は一読しておったが、自分の仕事のひろがるとともに、それもできなくなった。ところが、昨年十一月から雑誌『文芸』を刊行するようになって、また以前のように月に幾つかは目にふれるようになった。そして『改造』の懸賞創作の当選者たちとも、ときどき逢ってみる。私はこららの人びとから他日、立派なものをかいてくれる人が出ることを念ずる。
 また私が、雑誌に関係するようになってから、ずいぶん、多くの文壇人が死んだ。鴎外氏の晩年ごろは、私はときどき上野に訪問した。そしていろいろの人に紹介してももらった。ブッキラボウのようで深切味のある人であった
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