ルト、ゴンパース、シドニー・ウェッブ、カウツキー、コール、パンクハースト、ヘイウッド、バルビュッス、ハヴェロック・エリス、ベルンシュタイン、ゴールキー、胡適、クローデル、トロツキー、タゴール、ヨッフェ、ロマン・ローラン、ウェルズ、レーデラー、ピリニャーク、チャプリン、ムッソリニ、チャーチル、パンルヴェー、バーナード・ショウ、魯迅、プリボイ、等々燎爛をきわめている。その多角・多彩的な顔ぶれを回想すれば、我が国が思想的に幾変遷したことが、ほぼ推知されるのである。
 このうちヨッフェの寄稿は、大正十二年初頭はじめて日ソ通商復活のため彼が労農特派使節として来朝し、囂々たる我が国排ソの重囲にありて、それも三十九度、四十度を越す重態の床上にありて執筆した労農政府を代表する重要な論文であった。「労農新旧経済政策」と題する熱烈、堂々たる構策で、これにたいし我が私設代表たる後藤新平氏も「対露意見」を翌月我が誌に発表して一世の注目を惹いた。

 それから我が誌の創作欄は創刊号において幸田露伴氏の「運命」がかなり問題となったが、大正十年新年号に志賀直哉氏の一大長篇「暗夜行路」出ずるに及んで異常の衝撃を与えた
前へ 次へ
全18ページ中11ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
山本 実彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング