では到底《とうてい》正確に事物を知ることが出来るものではないのである。ただ茲《ここ》に不思議なのは心である、五官の力を借りないでこの心で事物を知る能力が人間に備っている。即《すなわ》ち種々《いろいろ》ある手段によって三摩地《さまち》の境涯《きょうがい》に入れば自ら五官の力を借りずに事物を正しく知ることが出来る、古来聖人君子の説かれた教《おしえ》は皆この五官の迷《まよい》を捨てよと云う事に他ならないのである。
世の中には怪物《ばけもの》が沢山居る、学問が進んで怪物《ばけもの》の数が少《すくな》くなったと云うがそれはいい加減なことで却《かえ》って殖《ふ》えたかも知れない、我国にも有形無形《うけいむけい》の怪物《ばけもの》が彼方《あっち》にも此方《こっち》にもゴロリゴロリ転《ころが》って世の中はまるで百鬼夜行《ひゃっきやこう》の姿である。
私は百物語で幽霊があるとか、狐や狸は化《ばけ》るものであるとか、世の中に種々《いろいろ》ある怪物《ばけもの》の詮索をするのを止《や》めて先《ま》ず我々人間が一番大きな怪物《ばけもの》で神変《しんぺん》不思議な能力を持っていると喝破《かっぱ》し、多くの人
前へ
次へ
全5ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
平井 金三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング