人間といふ人間の辛棒づよくも探し求めてゐたものは何であつたか。自分はそれを知つた。おお此のよろこび! 自分はそれをひつ掴んだ。どんなことがあつても、もうはなしてやるものか。

 苦痛は美である! そして力は! 力の子どもばかりが藝術で、詩である。

 或る日、自分は癲癇的發作のために打倒された。それは一昨々年の初冬落葉の頃であつた。而もその翌朝の自分はおそろしい一種の靜穩を肉心にみながら既に、はや以前の自分ではなかつた。
 それほど自分の苦悶は精神上の殘酷な事件であつた。
 此等の詩は爾後つい最近、突然咯血して病床に横はつたまでの足掛け三ヶ年間に渉る自分のまづしい收穫で且つ蘇生した人間の靈魂のさけび[#「さけび」に傍点]である。
 一莖の草といへども大地に根ざしてゐる。そしてものの凡ゆる愛と匂とに眞實をこめた自分の詩は汎く豐富にしてかぎりなき深さにある自然をその背景乃至内容とする。そこからでてきたのだ、譬へばおやへび[#「おやへび」に傍点]の臍を噛みやぶつて自《みづか》ら生れてきたのだと自分の友のいふその蝮の子のやうに。
 自分は言明しておく。信仰の上よりいへば自分は一個の基督者《キリ
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