らはすんでゐる
魚類のやうにむつまじくくらしてゐる
風はしめやかだ
たかいあの青空をわたる風だから
時時すういと突刺すやうにつばめ[#「つばめ」に傍点]なんどを飛ばせてよこす
そしてわたしらをびつくりさせる
わたしらはむつまじくくらしてゐる
わたしらは貧しく而もむつまじくくらしてゐる
わたしらは魚類のやうにくらしてゐる

  感謝

なんといふはやいことだ
たつたいまおきたばかりのところへ
ステーシヨンから箱が一つ
どつさりととどいた
その箱は遠くからいくつもいくつも隧道《とんねる》をくぐつてきたのだ
黄金《こがね》色した大きな穀物畠を横斷し
威勢のいい急行列車に載せられてきたのだ
そして此の都會のわたしらまできたのだ
みると箱の裂目からなにかでてゐる
それは葱の新芽だ
それから馬鈴薯《じやがいも》と鞘豆と
紫蘇の葉の匂もそこら一ぱいに朝のよろこびを漂はせてゐる

  勞働者の詩

ひさしぶりで雨がやんだ
雨あがりの空地《あきち》にでて木を鋸《ひ》きながらうたひだした
わかい木挽はいい聲を張りあげてほれぼれとうたひだした
何といふいい聲なんだ
あたり一めんにひつそりと
その聲に何もかもききほれてゐるやうだ
その聲からだんだん世界は明るくなるやうだ
みろ、そのま上に
起つたところの青空を
草木《くさき》の葉つぱにぴかぴか光る朝露を
一切のものを愛せよ
どんなものでもうつくしい
わかい木挽はいよいよ聲をはりあげて
そのいいこゑで
太陽を萬物の上へよびいだした

  老漁夫の詩

人間をみた
それを自分は此のとしよつた一人の漁夫にみた
漁夫は渚につつ立つてゐる
漁夫は海を愛してゐる
そして此のとしになるまで
どんなに海をながめたか

漁夫は海を愛してゐる
いまも此の生きてゐる海を……

じつと目を据ゑ
海をながめてつつ立つた一人の漁夫
此のたくましさはよ
海一ぱいか
海いつぱい
否、海よりも大きい
なんといふすばらしさであらう
此のすばらしさを人間にみる
おお海よ
自分はほんとの人間をみた

此の鐵のやうな骨節《ほねぶし》をみろ
此の赤銅《あかがね》のやうな胴體をみろ
額の下でひかる目をみろ
ああ此の憂鬱な額
深くふかく喰ひこんだその太い力強い皺線《しわ》をよくみろ

自分はほんとの人間をみた

此の漁夫のすべては語る
曾て沖合でみた山のやうな鯨を
たけり狂つた斷崖のやうな波波を
それからおもはず跪いたほど
うつくしく且つ嚴かであつた黎明《よあけ》の太陽を
ああ此のあをあをとしてみはてのつかない大青海原
大海原も此の漁夫の前には小さい
波はよせて來て
そこにくだけて
漁夫のその足もとを洗つてゐる

  驟雨の詩

何だらう
あれは
さあさあと
竹やぶのあの音
雨だ
雨だ
おやもうやつてきた
ぽつぽつと大粒で
ああいい
ひさしぶりで
びつしより濡れる草木《くさき》だ
びつしよりぬれろ

  苦惱者

何をしてきた
何をしてきたかと自分を責める
自分を嘲ける此の自分
そして誰も知らないとおもふのか
自分はみんな知つてゐる
すつかりわかりきつてゐる
わたしをご覽
ああおそろしい

いけない
いけない
私に觸つてはいけない
私はけがれてゐる
私はいま地獄から飛びだしてきたばかりだ
にほひがするかい
お白粉や香水の匂ひが
あの暗闇で泳ぐほどあびた酒の匂ひが
此の罪惡の激しい樣樣なにほひが
おお腸《はらわた》から吐きだされてくる罪惡の匂ひ
それが私の咽喉《のど》を締める
それが私のくちびるに附着《くつつ》いてゐる
それから此のハンカチーフにちらついてゐる

自分はまだ生きてゐる
まだくたばつてはしまはなかつた
自分はへとへとに疲れてゐる
ゆるしておくれ
ゆるしてくれるか
神も世界もあつたものか
靈魂《たましひ》もかね[#「かね」に傍点]もほまれ[#「ほまれ」に傍点]もあつたものか
此の疲れやうは
まるでとろけてでもしまひさうだ
とろけてしまへ

何だその物凄いほど蒼白い顏は
だが實際、うつくしい目だ
此の頸にながながと蛇のやうにからみついたその腕は
ああゆるしておくれ
そして何にも言はずに寢かしておくれ
私はへとへとにつかれてゐる

なんにもきいてくれるな
こんやは
あしたの朝までは
そつと豚のやうに寢かしておいておくれ
とは言へあの泥水はうまかつた
それに自分は醉つぱらつてゐるんだ
此の言葉は正しい
此のていたらくで知るがいい

而も自分は猶、生きようとしてゐる
自分の顏へ自分の唾のはきかけられぬ此のくやしさ
ああおそろしい
ああ睡い
そつと此のまま寢かしておくれ

だがこんなことが一體、世界にあり得るものか
自分は自分を疑ふのだ
自分は自分をさはつてみた
そして抓つて撲《なぐ》つてかじつてみた
確に自分だ
ああおそろしい

自分は事實を否定
前へ 次へ
全17ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
山村 暮鳥 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング