自分はさみしく考へてゐる

ひとびとを喜ばすのは善いことである
自分をよろこばすのは更に善いことである
ひとびとをよろこばすことは
或は出來るかも知れぬ
自分をよろこばすことは大切であるが容易でない
物といふあらゆる物の正しさ
みなその位置を正しく占めてゐる秋の一日
すつきりと冴えた此の手よ
痩せほそつた指指よ
こんなことを自分はひとり考へてゐる
なんといふさみしい自分の陰影《かげ》であらう

  蝗

くるしみはうつくしい
人間の此の生きのくるしみ
これは人間ばかりでない
これが自然の深い大きな意志であるのか

深藍色にすつきりとした空
秋の日のうすらさみしさ
あちらこちらの畦畦にみすぼらしい彼等をみよ
女達と子ども等と
その手をのがれて逃げまどふ蝗蟲《いなご》を
ひつそりと貧しい村村
ながながしい鷄の聲
田の面はひろびろと凪ぎ
蝗蟲がぴよんぴよん飛んでゐる
それをつかまへようとしてあらそひ
それを追つ驅けまはしてゐる彼等
しきりにぴよんぴよんと
弱弱しい晝過ぎの光線を亂してとんでゐる
そしてまんまと捕へられる蝗蟲よ

  愛の力

穀物に重い穗首をたれさせる愛のちからは大きい
赤赤しい秋の日
ひろびろとした穀物畠
ひろびろと
としよつた農夫はそれに見惚れ
煙管の吸ひ殼をはたきながら
いたづらな雀や鴉に何をかたつてゐるのか
ゆたかに實のつた穀物は金《きん》の穗首をひくくたれて
だまつてそれを聞いてゐる
穀物に重い穗首をたれさせる愛のちからは大きい
黄銅《あかがね》のやうなその農夫のあたまの上に
蜻蛉が一ぴき光つてゐる
何といふ靜かさであらう

  人間の神

手に大鍬をつつぱつて
ひろびろとした穀物畠の上をしみじみ眺めてゐる
としよつた農夫の顏よ
その顏の神神しさよ
農夫は世界のたましひである
農夫は人間の神である
黎明《よあけ》からのはげしい勞働によつて
崖壁のやうな胸をながれる脂汗
その胸にたたへた人間の愛によつて
穀物は重い穗首をひくく垂れた
みよ一日はまさに終らんとしてゐる
赤赤しい夕燒け空
大鍬の泥土《どろ》をかきおとすのもわすれて
農夫はひろびろとした穀物畠を飽かずながめてゐる
その彼方《かなた》にあかあかと
太陽は今やすらかにはいつて行くところだ

  秋のよろこびの詩

青竹が納屋《なや》の天井の梁にしばりつけられると
大きな摺臼は力強い手によつてひとりでに廻りはじめる
ごろごろと
その音はまるで海のやうだ
金《きん》の穀物は亂暴にもその摺臼に投げこまれて
そこでなかのいい若衆《わかいしゆ》と娘つ子のひそひそばなしを聞かせられてゐる
ごろごろと
その音はまるで海のやうだ
ごろごろごろごろ
何といふいい音だらう
あちらでもこちらでもこんな音がするやうになると
お月樣はまんまるくなるんだ
そしてもうひもじがるものもなくなつた
ああ收穫のよろこびを
ごろごろごろごろ
世界のはてからはてまでつたへて
ごろごろごろごろ

  草の葉つぱの詩

晩秋の黄金色のひかりを浴びて
野獸の脊の毛のやうに荒荒しく簇生してゐる草の葉つぱ
一まいの草の葉つぱですら
人間などのもたない美しさをもつ
その草の葉つぱの上を
素足ではしつて行つたものがある
素足でその上をはしつて行つたものに
そよ風は何をささやいたか
こんなことにもおどろくほど
ああ人間の惱みは大きい
素足でその上をはしつて行つたものがあると
草の葉つぱが騷いでゐる

  或る風景

みろ
大暴風の蹶ちらした世界を
此のさつぱりした慘酷《むごた》らしさを
骸骨のやうになつた木のてつぺんにとまつて
きりきり百舌鳥《もず》がさけんでゐる
けろりとした小春日和
けろりとはれた此の蒼空よ
此のひろびろとした蒼空をあふいで耻ぢろ
大暴風が汝等のあたまの上を過ぐる時
汝等は何をしてゐた
その大暴風が汝等に呼びさまさうとしたのは何か
汝等はしらない
汝等の中にふかく睡つてゐるものを
そして汝等はおそれおののき兩手で耳をおさへてゐた
なんといふみぐるしさだ
人間であることをわすれてあつたか
人間であるからに恥ぢよと
けろりとはれ
あたらしく痛痛しいほどさつぱりとした蒼空
その下で汝等はもうあらし[#「あらし」に傍点]も何も打ちわすれて
ごろごろと地上に落ちて轉つてゐる果實《きのみ》
泥だらけの青い果實をひろつてゐる

  雪ふり蟲

いちはやく
こどもはみつけた
とんでゐる雪ふり蟲を
而も私はまだ
一つのことを考へてゐる

  冬近く

お前の目はふかい
それはまるで淵のやうだ
冬近く
その目の中にぽつちり……
ぽつちりと點じた一つの灯を思へ
此の眞實に生きよ
いまは薄暮である
此のさびしさを愛せよ

  蟋蟀

記憶せよ
あの夜のことを
あの暴風雨を
あの暴風雨にも鳴きやめず
ほそぼそと力
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