とごとく心的内容を具備し、その裏面にある含蓄によらずして、既に表面にあらはれたる事件のみにても充分に芸術上の価値を存する作物の事、更に進んではフイツシエルの所謂至高象徴にまで及びたい。然しそれは氏にとつては意義なき論議であり、自分にとつても徒らなる自己告白の所為である。おもへば一切は闇の夜のこと、たゞそれだけのこと。
 それはさて来た道をあべこべにいそぐ途上、足の下に大きな生温かい蟾蜍を踏んだのは、そも何の暗示であつたであらうか。



底本:「ふるさと文学館 第九巻【茨城】」ぎょうせい
   1995(平成7)年3月15日初版発行
入力:林 幸雄
校正:小林繁雄
2002年10月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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