言である。けれど、それだけのことである。

 善い詩人は詩をかざらず。
 まことの農夫は田に溺れず。

 これは田と詩ではない。詩と田ではない。田の詩ではない。詩の田ではない。詩が田ではない。田が詩ではない。田も詩ではない。詩も田ではない。
 なんといはう。實に、田の田である。詩の詩である。

 ――藝術は表現であるといはれる。それはそれでいい。だが、ほんとうの藝術はそれだけではない。そこには、表現されたもの以外に何かがなくてはならない。これが大切な一事である。何か。すなはち宗教において愛や眞實の行爲に相對するところの信念で、それが何であるかは、信念の本質におけるとおなじく、はつきりとはいへない。それをある目的とか寓意とかに解されてはたいへんである。それのみが藝術をして眞に藝術たらしめるものである。
 藝術における氣禀の有無は、ひとへにそこにある。作品が全然或る敍述、表現にをはつてゐるかゐないかは徹頭徹尾、その何か[#「何か」に傍点]の上に關はる。
 その妖怪を逃がすな。
 それは、だが長い藝術道の體驗においてでなくては捕へられないものらしい。

 何よりもよい[#「よい」に傍点]生活
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