ずに凸凹な顏をし
でつかい荷物を
ひとりのは南京袋
もひとりののはあかんぼ
そのうへ
天氣がすばらしくいいので
二人ともこのうへもなく幸福さうだ
げらげらわらつたりしてゐる
おなじく
そこらに
みそさざいのやうな
口笛をふくものが
かくれてゐるよ
なあんだ
あんな遠くの桑畑に
なんだか、ちらり
見えたりかくれたりしてゐるんだ
おなじく
ぽつかりと童子は
ほんとに花でもさいたやうだ
ねむてえだづら
雲雀《ひばり》が四方八方で
十六十七
十六十七
といつてさへづつてゐる
野良道である
なにゆつてるだあ
としよりもにつこりとして
たんぽぽなんか
こつそりとみてゐる
雲
丘の上で
としよりと
こどもと
うつとりと雲を
ながめてゐる
おなじく
おうい雲よ
いういうと
馬鹿にのんきさうぢやないか
どこまでゆくんだ
ずつと磐城平《いはきたひら》の方までゆくんか
ある時
雲もまた自分のやうだ
自分のやうに
すつかり途方にくれてゐるのだ
あまりにあまりにひろすぎる
涯《はて》のない蒼空なので
おう老子よ
こんなときだ
にこにことして
ひよつこりとでてきませんか
こども
山には躑躅が
さいてゐるから
おつこちるなら
そこだらうと
子どもがいつてる
かみなり
かみなり
躑躅がいいぢやないか
おなじく
おや、こどもの聲がする
家のこどもの泣聲だよ
ほんとに
あんまり長閑《のどか》なので
どこかとほいとほい
お伽噺の國からでもつたはつてくるやうにきこえる
いい聲だよ、ほんとに
おなじく
ぼさぼさの
生籬の上である
牡丹でもさいてゐるのかと
おもつたら
まあ、こどもが
わらつてゐたんだよう
おなじく
千草《ちぐさ》の嘘つきさん
とうちやんの
おくちから
蝶々が
飛んでつた、なんて
おなじく
とろとろと瞳々《めめ》
とろけかかつたその瞳々
ねむたかろ
子どもよ
さあ林檎だ、林檎だ
まつ赤な奴だぞ
おなじく
まづしさのなかで
生ひそだつもの
すくすくと
ほんとに筍のやうだ
子どもらばかり
おなじく
こどもよ、こどもよ
燒けたら宙に放りあげろ
たうもろこしは
風で味よくしてたべろ
風で味つけ
よく噛んでたべろ
おなじく
まんまろく
まんまろく
どうやら西瓜ほどの大きさである
だが子どもは※[#「口+云」、第3水準1−14−87]《い》つた
お月さんは
美味《うま》さうでもねえなあ
おなじく
こどもはいふ
たくさん頭顱《あたま》を
叩かれたから
それで
大人《おとな》は悧巧になつたんだね
おなじく
篠竹一本つつたてて
こどもが
家のまはりを
駈けまはつてゐる
ゆふやけだ
ゆふやけだ
おなじく
こどもが
なき、なき
かへつてきたよ
どうしたのかときいたら
風めに
ころばされたんだつて
おう、よしよし
こんどとうちやんがとつつかまへて
ひどい目にあはせてやるから
馬
たつぷりと
水をたたへた
田んぼだ
代《しろ》かき馬がたのくろで
げんげの花をたべてゐる
おなじく
馬が水にたつてゐる
馬が水をながめてゐる
馬の顏がうつつてゐる
おなじく
だあれもゐない
馬が
水の匂ひを
かいでゐる
ゆふがた
馬よ
そんなおほきななりをして
こどものやうに
からだまで
洗つてもらつてゐるんか
あ、螢だ
朝顏
瞬間とは
かうもたふといものであらうか
一りんの朝顏よ
二日頃の月がでてゐる
おなじく
芭蕉はともかくも
火をこしらへて
茶をいれた
それからおもひだしたやうに
かたはらのお櫃を覗いてみて
さびしくほほゑみ
その茶をざぶりぶつかけて
さらさらと
冷飯を食べた
朝顏よ
さうだつたらう
渠《かれ》には、妻も子もなかつた
おなじく
まんづ、まんづ
この餓鬼奴《がきめ》はどうしたもんだべ
脊中で
おつかねえやうだよ
朝顏の花喰ひたがつてるだあよ
驟雨
沼の上を
驟雨がとほる
そのずつとたかいところでは
雲雀が一つさへづつてゐる
ぐツつら
ぐツつら
馬鈴薯《じやがたらいも》が煮えたつた
おなじく
驟雨は
ぐつしよりとぬらした
馬もうまかたも
おんなじやうに
病牀の詩
朝である
一つ一つの水玉が
葉末葉末にひかつてゐる
こころをこめて
ああ、勿體なし
そのひとつびとつよ
おなじく
よくよくみると
その瞳《め》の中には
黄金《きん》の小さな阿彌陀樣が
ちらちらうつつてゐるやうだ
玲子よ
千草よ
とうちやんと呼んでくれるか
自分は耻ぢる
おなじく
ああ、もつたいなし
もつたいなし
けさもまた粥をいただき
朝顏の花をながめる
妻よ
生きながらへねばならぬことを
自分ははつきり
前へ
次へ
全6ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
山村 暮鳥 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング