大竹藪の眞晝は
ひつそりとしてゐる
この梅の
小枝を一つ
もらつてゆきますよ
山逕にて
善い季節になつたので
※[#「くさかんむり/刺」、第3水準1−90−91]《ばら》などまでがもう
みち一ぱいに匍ひだしてゐた
けふ、山みちで
自分はそのばらに
からみつかれて
脛をしたたかひつかかれた
ある時
まあ、まあ
どこまで深い靄だらう
そこにもここにも
木が人のやうにたつてゐる
あたまのてつぺんでは
艪の音がしてゐる
ぎいい、ぎいい
さうかとおもつてきいてゐると
雲雀《ひばり》が一つさへづつてゐる
これでいいのか
春だとはいへ
ああ、すこし幸福すぎて
寂しいやうな氣がする
ある時
麥の畝々までが
もくもく
もくもく
匍ひだしさうにみえる
さあ
どうしよう
ある時
うす濁つたけむりではあるが
一すぢほそぼそとあがつてゐる
たかくたかく
とほくの
とほくの
山かげから
青天《あをぞら》をめがけて
けむりにも心があるのか
けふは、まあ
なんといふ靜穩《おだやか》な日だらう
櫻
さくらだといふ
春だといふ
一寸、お待ち
どこかに
泣いてる人もあらうに
おなじく
馬鹿にならねば
ほんとに春にはあへないさうだ
笛よ、太鼓よ
さくらをよそに
だれだらう
月なんか見てゐる
お爺さん
滿開の桃の小枝を
とろりとした目で眺めながら
うれしさうにもつてとほつた
あのお爺さん
にこにこするたんびに
花のはうでもうれしいのか
ひらひらとその花瓣《はなびら》をちらした
あのお爺さん
どこかでみたやうな
ある時
あらしだ
あらしだ
花よ、みんな蝶々にでもなつて
舞ひたつてしまはないか
ある時
自分はきいた
朝霧の中で
森のからすの
たがひのすがたがみつからないで
よびかはしてゐたのを
ある時
朝靄の中で
ゆきあつたのは
しつとりぬれた野菜車さ
大きな脊なかの
めざめたばかりの
あかんぼさ
けふは、なんだか
いいことのありさうな氣がする
ある時
松ばやしのうへは
とつても深い青空で
一ところ
大きな牡丹の花のやうなところがある
こどもらの聲がきこえる
あのなかに
うちのこどももゐるんだな
朝
なんといふ麗かな朝だらうよ
娘達の一|塊《かたまり》がみちばたで
たちばなししてゐる
うれしさうにわらつてゐる
そこだけが
馬鹿に明るい
だれもかれもそこをとほるのが
まぶしさうにみえる
藤の花
ながながと藤の花が
深い空からぶらさがつてゐる
あんまり腹がへつてゐるので
わらふこともできないで
それを下から見あげてゐる
ゆらりとしてみろ
ほんとに
食べたいやうな花だが
食べられるものでないから
寂しいんだ
ある時
ばらばらと
雨が三粒
……けふは何日だつけなあ
ある時
木蓮の花が
ぽたりとおちた
まあ
なんといふ
明るい大きな音だつたらう
さやうなら
さやうなら
ある時
ほのぼのと
どこまで明るい海だらう
それでも溺れようとはせず
ちりり
ちりりり
ちどりはちどりで
まつぴるまを
鬼ごつこなんかしてゐる
野糞先生
かうもりが一本
地べたにつき刺されて
たつてゐる
だあれもゐない
どこかで
雲雀《ひばり》が鳴いてゐる
ほんとにだれもゐないのか
首を廻してみると
ゐた、ゐた
いいところをみつけたもんだな
すぐ土手下の
あの新緑の
こんもりした灌木のかげだよ
ぐるりと尻をまくつて
しやがんで
こつちをみてゐる
手
しつかりと
にぎつてゐた手を
ひらいてみた
ひらいてみたが
なんにも
なかつた
しつかりと
にぎらせたのも
さびしさである
それをまた
ひらかせたのも
さびしさである
ほうほう鳥
やつぱりほんとうの
ほうほう鳥であつたよ
ほう ほう
ほう ほう
こどもらのくちまね[#「くちまね」に傍点]でもなかつた
山のおくの
山の聲であつたよ
*
ほう ほう
ほう ほう
山奧のほそみちで
自分もないてる
ほうほう鳥もないてる
*
自分もそこにもゐて
ふと鳴いてるとおもはれたよ
ほう ほう
ほう ほう
*
ほう ほう
ほう ほう
ほんとうのほうほう鳥より
自分のはうが
どうやら
うまく鳴いてゐる
あんまりうまく鳴かれるので
ほんとうのほうほう鳥は
ひつそりと
だまつてしまつた
まつぼつくり
山のおみやげ
まつぼつくり
ぼつくり
ころころ
ころげだせ
お晝餉《ひる》だよう
鐵瓶の下さたきつけろ
讀經
くさつぱらで
野良犬に
自分は法華經をよんできかせた
蜻蛉《とんぼ》もぢつときいてゐた
だが犬めは
つまらないのか、感じたのか
尻尾もふつてはみせないで
そしてふらりと
どこへともなくいつてし
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