の父《ちゝ》であります。否《いな》、父《ちゝ》ではありません。友《とも》であります。ほんとに善《よ》い友《とも》でありたいと、それを切《せつ》に希《ねが》ふものです。
子《こ》ども達《たち》をおもふと、わたしは幸福《かうふく》を感《かん》じます。わたしは希望《きばう》を感《かん》じます。子《こ》ども達《たち》をとほしてのみ、眞《まこと》の人間《にんげん》の生活《せいくわつ》は、その意味《いみ》が解《わか》るやうに、わたしには想《おも》はれます。
子《こ》ども達《たち》をおもひ且《か》つ愛《あい》することに依《よつ》て、わたしはわたしの此《こ》の苦惱《くるしみ》にみちみてる生涯《しやうがい》を純《きよ》く、そして美《うつく》しい日々《ひゞ》として過《すご》すでせう。これは大《おほ》きな感謝《かんしや》であります。
此《こ》の夏《なつ》はじめの或《あ》る宵《よひ》のことでした。築地《つきぢ》の聖《せい》ルカ病院《びやうゐん》にK先生《せんせい》のお孃《じやう》さんをみまひました。おなじく、深《ふか》い罅《ひゞ》のはいつた肉體《からだ》をもつてゐるわたしは、これから海《うみ》に行《ゆ
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