き》をとほつて、あのいいぷうんとくる匂《にほ》ひを嗅《か》ぐと、まつたく理《り》も非《ひ》もなくなるんです。そしてそこへ飛《と》び込《こ》んでしまふんです。神樣《かみさま》、どうしてこんなに嚥《の》みたいんでせう。どうかして此《こ》の呑《の》みたい酒《さけ》をやめることは出來《でき》ないもんでせうか」
 神樣《かみさま》はのんべえ[#「のんべえ」に傍点]の涙《なみだ》を御覧《ごらん》になりました。
「そうか。よくわかつた。俺《わし》はお前《まへ》がかわいさうでならない。唯《たゞ》、それだけだ」
「えツ、こんな紙屑《かみくづ》のやうな人間《にんげん》でも、かわいさうに想《おも》つてくださいますか」
「おお、そうおもはなくつてどうする」
「へえゝゝゝゝ」
 よろこんだの、よろこばないのつて、のんべえ[#「のんべえ」に傍点]は轉《ころげ》るやうに、よろこんでその山《やま》から家《いへ》に驅《か》け戻《もど》りました。來《き》てみると嬶《かゝあ》も子《こ》どもも誰《だれ》もゐません。
 お上《かみ》さんはお上《かみ》さんで、子《こ》ども達《たち》を引《ひ》きつれて御亭主《ごていしゆ》の立去《たちさ》つたあとへ、入《い》れ違《ちが》ひにやつて來《き》ました。
 まるで喧嘩《けんくわ》でも賣《う》りにきたやうに
「どうしたもんでせう。神樣《かみさま》。宅《たく》ののんべえ[#「のんべえ」に傍点]ですがね。もうあきれて物《もの》も言《い》へません。妾《わたし》があなたに、あの酒《さけ》の止《や》むやうにつてお願《ねが》ひしたのは百ぺんや二百ぺんではありません。けれど止《や》むどころか、あの通《とほ》りです。けふは妾《わたし》に何《なに》か言《ゆ》はれたのがよくよく、くやしかつたとみえまして、目《め》が覺《さ》めると、しくしく泣《な》きながら、また出《で》て行《い》つたんです。屹度《きつと》、酒屋《さかや》へです。私《わたし》は酒《さけ》を憎《にく》みます。そのためにどうでせう、妾《わたし》や子《こ》ども等《ら》は年《ねん》が年中《ねんぢう》、食《く》ふや食《く》はずなんです。神樣《かみさま》、なんとか仰《おつしや》つてくれませんか。どうしてあなたはあんな酒《さけ》の造《つく》り方《かた》なんか人間《にんげん》にお教《をし》えになつたんです。妾《わたし》はあなたを恨《うら》みます」
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