んな生命《いのち》の瀬戸際《せとぎは》で」
「はい。そればかりではありません。世界《せかい》には私《わたし》どもの知《し》らないことが數限《かずかぎ》りなくあります。――小《ちひ》さなところで獨《ひと》り威張《ゐば》つてゐることの」
「え」
「愚《おろか》さがしみじみ、はじめて解《わか》りました」


 どうしてのんべえ[#「のんべえ」に傍点]は其酒を止めたか

 のんべえ[#「のんべえ」に傍点]ものんべえ[#「のんべえ」に傍点]も怖《おそろ》しいのんべえ[#「のんべえ」に傍点]がありました。その家《いへ》では、それがために一|年《ねん》の三百六十五|日《にち》を、三百|日《にち》ぐらゐは必《かなら》ず喧嘩《けんくわ》で潰《つぶ》すことになつてゐました。
 けふもけふとて、ぐでんぐでんに御亭主《ごていしゆ》が醉拂《よつぱら》へてかへつて來《く》ると、お上《かみ》さんが山狼《やまいぬ》のやうな顏《つら》をして吠《ほ》え立《た》てました。なんとゆつても、まるで屍骸《しんだもの》のやうに、ひツくりかへつてはもう正體《しやうたい》も何《なに》もありません。梁《はり》の煤《すゝ》もまひだすやうな鼾《いびき》です。
 お上《かみ》さんも呆《あき》れて、だまつてしまふのが例《れい》でした。
 不思議《ふしぎ》なこともあるものです。それが今日《けふ》は、何《なに》をおもひだしたのか、目《め》が覺《さ》めると、めそめそ啜《すゝ》り泣《な》きをしながら、何處《どこ》へか出《で》て行《い》つてしまひました。
 やがてのんべえ[#「のんべえ」に傍点]は樹深《こぶか》い裏山《うらやま》のお宮《みや》の前《まへ》にあらはれました。[#「あらはれました。」は底本では「あらはれました」と誤記]そして地《ぢ》べたに跪《ひざまづ》いて
「神樣《かみさま》、どうかお聽《き》きになつてください。私《わたし》はあなたもよく御承知《ごしやうち》ののんべえ[#「のんべえ」に傍点]です。私《わたし》がのんべえ[#「のんべえ」に傍点]なために家《いへ》の生計《くらし》は火《ひ》の車《くるま》です。嬶《かゝあ》や子《こ》ども等《ら》のひきづツてゐるぼろ[#「ぼろ」に傍点]をみると、もうやめよう、もうやめよう[#「もうやめよう」は底本では「もうやう」と誤記]とは思《おも》ふんですが、またすぐ酒屋《さかや》の店先《みせさ
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