「おい、みんな此《こ》の氣狂《きちが》ひを來《き》てみろ」
鱶《ふか》が
「小僧《こぞう》! おめえ迷兒《まいご》か、どこからきたんだ。だれか尋《たづ》ねる者《もの》でもあるのか」
鯛《たひ》の子《こ》はくやしくつて火《ひ》のやうに眞赤《まつか》になりました。けれどまた怖《こわ》くつて、氷《こほり》のやうに硬《こは》ばつてぶるぶる、ふるえてをりました。
もう旅《たび》は懲々《こり/\》でした。そう思《おも》ふと、自分《じぶん》の家《いへ》が戀《こひ》しくつて戀《こひ》しくつてたまりません。はやくかえらう。はやくかえらう。と、……………………
父鯛《おやたひ》
「おお、氣《き》がついたか」
ぱつちりと目《め》をあいた子《こ》の鯛《たひ》
「ここはどこです」
「汝《そち》の家《いへ》ぢや」
「え。あなた誰方《どなた》です」
「汝《そち》の父《ちゝ》じや。わからないのか」
「あツ、お父樣《とうさま》!」
「どうしたといふのか、どう……でもまあよかつたわ」
「私《わたし》は甦《うまれかは》つたやうに感《かん》じます」
「おお。そして旅《たび》はどんなであつた」
「はい」是々云々《これ/\しか/″\》でしたと、灣内《わんない》であつた鰯《いわし》やひらめ[#「ひらめ」に傍点]の優待《いうたい》から、沖《をき》でうけた大《おほ》きな魚類《ぎよるゐ》からの侮蔑《ぶべつ》まで、こまごまとなみだも交《まぢ》る物語《ものがたり》。
「するとその歸《かへ》るさ、私《わたし》は路《みち》を急《いそ》いでをりますと、此《こ》の鼻《はな》さきに大《おほ》きな眞黒《まつくろ》い山《やま》のやうなものがふいと浮上《うきあが》りました。眼《め》がくらくらツとして體《からだ》が搖《ゆ》れました。まつたく突然《だしぬけ》の出來事《できごと》です。けれど何程《なにほど》のことがあらうと運命《うんめい》を天《てん》にゆだね、夢中《むちう》になつて驅《か》けだしました。それからのことは一|切《さい》わかりません」
「無事《ぶじ》であつて何《なに》よりじや。その黒《くろ》い大《おほ》きな山《やま》とは、鯨《くじら》ぢやつた。おそろしいこと、おそろしいこと、聞《き》いただけでも慄《ぞつ》とする」
「お父樣《とうさま》」
「何《なに》」
「でも私《わたし》は善《よ》い經驗《けいけん》をいたしました」
「そ
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