なか》に真相を云わなかったが終《つい》にこう白状した、その談《はなし》によると、何《な》んでもこの家《うち》を建てた人と云うのは某華族へ一生奉公に上《あが》っていた老女だそうだ。この婆さん真実の身内というものがない、その関係もあったろうが、元来が上方者《かみがたもの》の吝嗇家《しまりや》だったから、御殿奉公中からちょびちょび小金《こがね》を溜めて大分持っていたそうだ、しかしもう齢《とし》が齢《とし》なので屋敷も暇《ひま》を貰って自分は此処《ここ》へ一軒|新《あた》らしく家を建てたが、何分《なにぶん》にも老先《おいさき》の短かい身に頼り少いのが心細く、養子を貰ったそうだ。ところが不幸にもその養子になった男が頗《すこぶ》る放蕩無頼《ほうとうぶらい》の徒で、今まで老婆が虎の子の様な溜めておいた金を、何時《いつ》しか老婆を騙《だま》し騙《だま》し浪費して、終《つい》に最早《もう》すっかり無くなった時分にはとうとう姿を隠して家を逃げてしまった、残された老婆は非常に怨憤《うら》み落胆《らくたん》して常に「口惜《くや》しい口惜《くや》しい」といっていた。終《つい》にそれがもとで発狂して死んでしまった
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