奥へ挨拶をすると主人は「大分《だいぶ》今夜は遅かったね」と云うから、不思議と時計を見ると成程《なるほど》最早《もう》十二時二十分|許《ばかり》過ぎていたのだ。奇妙な事もあればあるものだと、その晩はそれなりに寐《ね》てしまった。翌朝私が眼を覚《さま》すと、例の小僧が家《うち》へ馳込《かけこ》んで来て、また河岸《かし》のあの柏《かしわ》へ首縊《くびくくり》がある」というので、私も好奇心につられて、直《すぐ》に行ってみると、それは花園橋|側《わき》の材木置場のすぐ傍《そば》にある、一寸《ちょっと》太い柏《かしわ》の木なので、蔓下《つるさが》ってるのは五十ばかりの老人であった。不思議なのは、それが昨夜《ゆうべ》私が立っていたところと、ものの半町《はんちょう》と隔《へだ》っていない所なので、これを見た時には、私は実に一種物凄い感《かんじ》を催《もよお》したのであった。それから、帰って主人に昨夜の出来事を談《はな》すと、主人のいうには「それは屹度《きっと》お前も矢張《やっぱり》昨夜死神につかれたのだが、その倒された途端に、幸《さいわい》と離れたものだろう、この河岸《かし》というのは、元からよくない所なので、あの柏《かしわ》の木も、此度《こんど》で丁度《ちょうど》三人目の首縊《くびくく》りだ、初め下《さが》った時、一の枝を切ると、また二の枝に下ったので、それも切ると、此度《こんど》は実に三の枝でやったのだ」、との談《はなし》、その時は遂《つい》に根元から切ってしまったが、如何《どう》考えてみても、この時のことばかりは今でも私自身にも解らぬのである。
底本:「文豪怪談傑作選・特別篇 百物語怪談会」ちくま文庫、筑摩書房
2007(平成19)年7月10日第1刷発行
底本の親本:「怪談会」柏舎書楼
1909(明治42)年発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2008年9月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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