いつ》我が望《のぞみ》が成就《じょうじゅ》して国へ芽出度《めでたく》帰れるかなどと、つまらなく悲観に陥って、月を仰《あお》ぎながら、片門前《かたもんぜん》の通《とおり》を通って、漸《ようや》く将監橋《しょうげんばし》の袂《たもと》まで来た。その頃|其処《そこ》にあった蕎麦屋の暖簾《のれん》越しに、時計を見ると、まだ十時五分前なので、此処《ここ》から三分もかかれば家《うち》へ帰れるのだから、確《たしか》に平時《いつ》もの通り十時前には帰れると安心して、橋を渡って行った。その時にはまだ私も気が附いていたのだが、さて将監橋を渡り切る頃には、如何《どう》したものか、それから先《さ》きは、未《いま》だに考えてみても解らない。何しろ十時から十一時、十二時という、二時間の間というものは、何処《どこ》を何《なに》して歩いたものか、それともじっと一《ひ》と所《ところ》に立止《たちどま》っていたものか、道にしたら僅《わず》かに三四|町《ちょう》のところだが、そこを徘徊《はいかい》していたものらしい。やがて師匠の家《うち》に曲る横町も通過《とおりす》ぎて、花園橋の上に茫然《ぼうぜん》と立っていたのだ。すると山内《さんない》の方から、二人曳《ににんびき》で威勢よく駈《か》けて来た車が、何《いず》れ注意をしたものだろうが、私はそれが耳にも入らず中央《まんなか》に、ぽつりと立っていたので、「危険《あぶ》ない」と車夫《くるまや》が叫んだ拍子にどんと橋詰《はしづめ》の砂利道《ざりみち》の上に、私を突倒《つきたお》して行ってしまった。ハッと思った途端に、私はこの時初めて、我《わ》れと我心《わがこころ》に帰って、気が付いてみると、そんな砂利《じゃり》の上に、横ざまに倒されている。乱暴な事をする奴だと、その車の行った方を見送りながら、四隣《あたり》を見ると、自分は何時《いつ》しか、こんな花園橋の処《とこ》まで来ているので、おかしいとは思ったが、私はその時にもまだよくは気が付かない。幸《さいわい》怪我《けが》もなかったので早速《さっそく》投出《なげだ》された下駄《げた》を履いて、師匠の家《うち》の前に来ると、雨戸が少しばかり開《あ》いていて、店ではまだ燈《あかり》が点《つ》いている。貞吉《ていきち》という小僧が、こくりこくりと居寐《いねむ》りをしていたので、急いで内へ飛込《とびこ》んで、只今《ただいま》と
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