た、前に云うのを忘れたがこの母に比して父という人は評判の好人物であったのだ、婢女《じょちゅう》の談《はなし》で兎《と》に角《かく》気になるから皆《みんな》に立合《たちあ》った蒲団《ふとん》の下を見ると、はたせるかな、二通の遺言状が出た、何時《いつ》書きしものか解《わか》らねど、ふるえた手跡《しゅせき》に鉛筆での走り書きで一通は、師匠の私へ宛てた今日《きょう》までの普通の礼を述べた手紙で、尚《なお》一通のは即《すなわ》ちこの父親に残したものであった、これは長いものだったが要を摘《つま》んで談《はな》せばまあこうである。
妾《わたし》は頼みなき身をこのたより少なき無情の夫の家にながらえいる、最早《もはや》妾《わたし》の病《やまい》も到底《とうてい》治ることもあるまい、親たる父に未《ま》だ孝の道も尽《つく》さずして先だつ不孝は幾重《いくえ》にも済まぬがわたしは一刻も早くこの苦しい憂世《うきよ》を去りたい、妾《わたし》の死せる後《のち》はあの夫は、あんな人|故《だから》死後の事など何も一切《いっせつ》関《かま》わぬ事でしょう、また葬式|一切《いっさい》の費用に関しても、最早《もはや》自分の衣
前へ
次へ
全15ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
鈴木 鼓村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング