ある。
 私が京都に居《お》った時分私の女門弟に某《なにがし》という娘があった。年齢《とし》はその頃十九だったが、容貌《きりょう》もよし性質も至って温雅な娘でまた箏《こと》の方にかけては頗《すこぶ》る天稟《てんりん》的なので、師匠の自分にも往々《おうおう》感心する様なことがあったくらいだ。その時分両親はまだ健全《たっしゃ》で、親子三人暮し、家も貧しい方でもなく先《ま》ず普通の生活をしていた、元来がこういう温和な娘だったから、親達の命令には少しぐらい無理なことがあっても自分の意を屈《ま》げても従うと言う風であった。容貌《きりょう》は佳《よ》し性質もこんな温厚な娘だったが、玉にも瑕《きず》の例でこの娘に一つの難というのは、肺病の血統である事だ。娘自身も既にそれと心付き、それに前にいった様に温雅な――寧《むし》ろ陰気と言う方の質《たち》だったから、敢《あえ》て立派な処《とこ》へ嫁に行きたいと云う様な望《のぞみ》もない、幸い箏《こと》は何よりも好きの道だから、自分はこの道を覚込《おぼえこ》んで女師匠に一生一人|生活《くらし》をして行く方が、結句《けっく》気安いだろうと思ったので、遂に自分の門弟
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