んでいるというような絵を見た事があるが、自分は幼な心にも物凄く覚えて、箏《こと》というものに対して何だか一種凄い印象が今日《こんにち》まで深く頭に刻み付けられているのだ、論より証拠、寺の座敷か、御殿の様な奥まった広い座敷の床《とこ》の間《ま》へでもこれを立て懸《か》けておいて御覧なさい、随分《ずいぶん》いやな感《かんじ》のするものだ。殊《こと》にこれは横にしたよりも縦にすると一層《いっそう》凄く見える。それかあらぬかロセッチの画《か》いた絵に地中海で漁夫《ぎょふ》を迷わすサエレン[#「サエレン」に傍線]という海魔に持たしてあるのは日本の箏《こと》だ、しかもそれが縦にしてある、ロセッチは或《あるい》はこれを縦に弾くものと誤解したのかもしれぬが、この物凄い魔の女に取合《とりあ》わした対照は実に佳《い》いと思った。
 前置《まえおき》づきだが、要《よう》するに箏《こと》というものは何だか一種凄みのあるものだということに過《すぎ》ぬ、これから談《はな》すことも矢張《やっぱり》箏《こと》に関係したことなので、その後《のち》益々《ますます》自分は箏《こと》を見ると凄い感《かんじ》が起《おこ》るので
前へ 次へ
全15ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
鈴木 鼓村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング