ある。
 私が京都に居《お》った時分私の女門弟に某《なにがし》という娘があった。年齢《とし》はその頃十九だったが、容貌《きりょう》もよし性質も至って温雅な娘でまた箏《こと》の方にかけては頗《すこぶ》る天稟《てんりん》的なので、師匠の自分にも往々《おうおう》感心する様なことがあったくらいだ。その時分両親はまだ健全《たっしゃ》で、親子三人暮し、家も貧しい方でもなく先《ま》ず普通の生活をしていた、元来がこういう温和な娘だったから、親達の命令には少しぐらい無理なことがあっても自分の意を屈《ま》げても従うと言う風であった。容貌《きりょう》は佳《よ》し性質もこんな温厚な娘だったが、玉にも瑕《きず》の例でこの娘に一つの難というのは、肺病の血統である事だ。娘自身も既にそれと心付き、それに前にいった様に温雅な――寧《むし》ろ陰気と言う方の質《たち》だったから、敢《あえ》て立派な処《とこ》へ嫁に行きたいと云う様な望《のぞみ》もない、幸い箏《こと》は何よりも好きの道だから、自分はこの道を覚込《おぼえこ》んで女師匠に一生一人|生活《くらし》をして行く方が、結句《けっく》気安いだろうと思ったので、遂に自分の門弟となったが、技術の上には前いう如く天稟《てんりん》的だし当人も非常に好きなものだから技術は日に増し上達する。自分も特別心懸けて教えていたが、その時分は最早《もはや》自分で大分《だいぶん》門弟をとって立派にかんばんをかける様になった。ところが娘はそうは云うものの両親も一度はそれを許してもみましたが、最早《もう》年頃でもあるし同じ朋輩《ほうばい》が皆《みんな》丸髷《まるまげ》姿に変るのを見ると親心にもあまり良《い》い心持《こころもち》もしない、実は密《ひそ》かに心配をしていたのだ。すると突然縁談が起《おこ》ったというのは、何でも、その娘を或《ある》男が外で見染めたとかで、是非というつまり容貌《きりょう》望みで直接に先方から懇望《こんもう》して来たのである。両親も大変喜んで種々《いろいろ》先方《さき》の男の様子も探ってみたが大した難もないし、殊《こと》に先方からの強《た》っての懇望《のぞみ》でもあるから、至極良縁と思ってそれを娘に談《はな》すと、一度は断ってはみたが、もとより両親の言《ことば》ではあるし、自分でも強いて淋しい生活に入るのを望むわけでもないから、一切《いっせつ》両親にまかすこと
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