にしたのがそもそも娘の不運の基《もと》であった。
 両親は頗《すこぶ》る喜んで早速この由《よし》を先方《さき》へ通ずる、そこで、かたの如く月下氷人《なこうど》を入れて、芽出度《めでた》く三々九度も終ったというわけだ。
 男というのは当時某会社に出勤していたが、何しろこんなにまで望んで嫁《と》った妻《かない》のことでもあるから、若夫婦の一家は近所の者も羨《うら》やむほど睦《むつま》じかった。しかしこれもほんの束の間、後《あと》でだんだん知れてみると、この男というのは性質の頗《すこぶ》るよくない奴で、女房を変えること畳を変えるが如きほどにも思っていない、この娘が丁度《ちょうど》三人目だとの事、それもこれも最早《もはや》後の祭りで既に遅い、男はそろそろ妻《かない》に秋風が吹いて来た、さあ、こうなると、こんなつまらない女房は無い家《うち》へ帰ってもつまらないと、会社からすぐ茶屋へ廻《まわ》るという有様《ありさま》で、始終|家《うち》を外の放蕩三昧《ほうとうざんまい》、あわれな妻《かない》を一人残して家事の事などは更《さら》に頓着《とんじゃく》しない、偶《たま》に帰宅すれば、言語《もの》のいい様《ざま》箸の上《あ》げ下《お》ろしさては酌《しゃく》の仕方が悪《わ》るいとか、琴を弾くのが気にくわぬとか、打ち打擲《ちょうちゃく》はまだしもの事、或《ある》時などは、白魚《しらお》の様な細指を引きさいて、赤い血が流れて痛いので妻《かない》が泣くのを見て、カラカラと笑っていると云った様な実に狂気《きちがい》じみた冷酷の処置であった。あまりといえばあまりの事、さりとて実家に帰ってこの苦痛を訴えて両親に心配させるのもこの女の出来ぬ事だし、兼《かね》て自分とは普通|一片《いっぺん》の師匠以上に親しんでおったので、或《ある》時などは私の許《とこ》へ逃げてきて相談をした事もあった、私も頗《すこぶ》る同情に堪《た》えなかったが、別にこの縁談については中に立ったというわけでもなし、旁々《かたがた》下手に間に入って口をきくと、反《かえっ》て先方《せんぽう》から怨《うら》まれなどした事もあったので、恰《あだか》も向岸《むこうぎし》の火事を見る様に傍《かたわら》で見ていて如何《どう》する事も出来ず、唯《ただ》はらはらと気を揉《も》んでいたばかりであった。
 そうこうする内に、これらの苦痛や煩悶がもとで前より
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