るのかを、たしかめんとしたが、解らない、その間は僅《わずか》三分ぐらいであったろう、如何《いか》にも物凄い音をしてブーンと、余韻を引いて鳴っていた、勿論《もちろん》夜が更《ふ》けている故《ゆえ》、戸も立ててあるし、風などがそう入るわけがないが、静かな室《しつ》の内に沈んだ音をしてなったのである。自分は未《いま》だ空鳴《そらなり》という事を経験した事がなかったので、これが俗にいう、琴の空鳴《そらなり》というものだろうと思ったが、それなり演奏の疲労《つか》れで何事《なにこと》もなく寐《ね》てしまった、翌朝に目を覚まして泣菫氏にも、この由《よし》をはなしたのである、同氏の家には後《あと》二日ばかり厄介《やっかい》になって、私が京都に帰ったのは、即《すなわ》ち廿三《にじゅうさん》日の昼であった、家へ帰って、聞くとその娘は廿一日《にじゅういち》の夜に死んだ、今日が、恰度《ちょうど》葬式だとの事、段々《だんだん》その死んだ刻限をきき合わしてみると、自分が聴いた箏《こと》の音の刻限とぴったり合うので、私は思わず身震《みぶるい》をしたのであった、それから早速《さっそく》自分も駈《か》けつけて葬礼の式に加わって、まず無事に万端《ばんたん》終ったのである。
それからやがて六ヶ月ばかり経《た》って、翌年の二月だったが、私の塾の女門弟が箏《こと》がほしいという、古いのでもいいというので私は早速《さっそく》琴屋を呼んで、幾面も取《とり》よせて色々《いろいろ》のと検定して中から一番気に入った品を周旋《しゅうせん》してやった、ところが不思議にもその品は曾《かつ》て見た事がある様な気がする、もしやと、箏樋《ことひ》の裏を見ると吃驚《びっくり》した、即《すなわ》ちその貼紙を発見したのだ、買った娘は、恰《あだか》も何か白羽の矢が自分にでも当ったかの如く思って、ワッとばかり自分の前に泣き伏した、自分は色々《いろいろ》と慰《なぐさ》めて、漸《ようや》く安心させたが、今もその娘が愛用している。
するとまた、四ヶ月ばかりの後《のち》のことだ、私の講習所の支部を大阪に置いてあったがそこへ出稽古に行ったところ、一人の門弟が古箏《ふるごと》を持って来て、自分に見てもらいたいというのである、これも、きたいに見覚えのあるので、もしやとまた箏樋《ことひ》の裏を検捜《しら》べると、二度|喫驚《びっくり》、それが、即《す
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