の指すが儘《まま》に眺めると、その当時までは、村の西にあって、幾階段かを上ったという、村の鎮守の八幡の社《やしろ》も、今|吾人《ごじん》の眼には、恰《あだか》もかの厳島《いつくしま》の社の廻廊が満つる潮に洗われておるかのように見える、もっと驚いたのは、この澄んでいる水面から、深い水底《みなそこ》を見下すと、土蔵の白堊《はくあ》のまだ頽《こわ》れないのが、まざまざとして発見されたのであった、その他湖上の処々《しょしょ》に、青い松の木が、ヌッと突出《つきで》ていたり、真赤に熟した柿の実の鈴生《すずなり》になっておる柿の木が、とる人とてもなく淋しく立っているなど、到底《とうてい》一寸《ちょっと》吾々が想像のつかぬ程の四辺《あたり》の光景に、いたく異様の感を催して、やがてかの東北有数の嶮阪《けんはん》なる○○峠を越えて、その日の夕暮近く、兼《かね》て期定《きてい》されたる、米沢の宿営地に着したのであった。
 ところが、この地に着いて、偶然《ふと》私は憶出《おもいだ》したのは、この米沢の近在の某寺院には、自分の母方の大伯父に当る、某《なにがし》といえる老僧が居《お》るという事であった。幸《さいわ
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