かに開けて、温雅《しとやか》に歩み来る女を見ると、まぎれもないその娘だ、文金《ぶんきん》の高島田に振袖の裾《すそ》も長く、懐中から垂れている函迫《はこせこ》の銀の鏈《くさり》が、その朧《おぼろ》な雪明りに、きらきらと光って見える、俯向《うつむ》き勝《が》ちに歩むその姿は、また哀れが深くあった、私は懇《ねんご》ろに娘を室《へや》に招じて、来訪の用向《ようむき》を訊ねると、娘は両手を畳につきながらに、物静かにいうには、実は妾《わたし》は何某《なにがし》の娘で御座《ござ》いますが、今宵《こよい》折入って、御願《おねがい》に上った次第というのは、元来|妾《わたし》はあの家の一粒種の娘であって、生前に於ても両親の寵愛も一方《ひとかた》では御座《ござ》いませんでした、最早《もう》妾《わたし》の婚礼も日がない、この一七日|前《ぜん》に、妾《わたし》は遂《つい》に無常の風に誘《さそわ》れて果敢《はか》なくなりました身で御座《ござ》います、斯様《かよう》な次第|故《ゆえ》、両親の悲歎は申すも中々《なかなか》の事、殊《こと》に母の心は如何《いか》ばかりかと思えば、妾《わたし》も安堵して、この世を去り兼《か》ねまするに、更《さ》らに、母は己の愛着のあまり、死出《しで》の姿にかうるに、この様な、妾《わたし》が婚礼の姿をその儘《まま》着せてくれまして、頭の髪も、こんな高田髷《たかたまげ》に結《ゆ》うて、厚化粧までしてもらったので、妾《わたし》は益々《ますます》この世に思《おもい》が残って、参るところへ参られぬ始末なので御座《ござ》います、何卒《なにとぞ》方丈様の御功徳《ごくどく》で、つゆも心残りなく、あの世に参れますよう、実は御願《おんねがい》に只今《ただいま》上りましたので御座《ござ》いますと、涙片手の哀訴に、私は直《ただ》ちに起《た》って、剃刀《かみそり》を持来《もちきた》って、立処《たちどころ》に、その娘の水の滴《た》るような緑の黒髪を、根元から、ブツリ切ると、娘は忽《たちま》ちその蒼白く美しい顔に、会心《かいしん》の笑《えみ》を洩《もら》して、一礼を述べて後《のち》、妾《わたし》がほんの志《こころ》ばかりの御礼の品にもと、兼《かね》てその娘が死せし際に、その枢《ひつぎ》に納めたという、その家に古くより伝わった古鏡《こきょう》と、それに、今|切落《きりおと》した娘の黒髪とを形見に残して
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