歩を占めてはいるが。
日本の茶の湯においてこそ始めて茶の理想の極点を見ることができるのである。一二八一年|蒙古《もうこ》襲来に当たってわが国は首尾よくこれを撃退したために、シナ本国においては蛮族侵入のため不幸に断たれた宋の文化運動をわれわれは続行することができた。茶はわれわれにあっては飲む形式の理想化より以上のものとなった、今や茶は生の術に関する宗教である。茶は純粋と都雅を崇拝すること、すなわち主客協力して、このおりにこの浮世の姿から無上の幸福を作り出す神聖な儀式を行なう口実となった。茶室は寂寞《せきばく》たる人世の荒野における沃地《よくち》であった。疲れた旅人はここに会して芸術鑑賞という共同の泉から渇《かわき》をいやすことができた。茶の湯は、茶、花卉《かき》、絵画等を主題に仕組まれた即興劇であった。茶室の調子を破る一点の色もなく、物のリズムをそこなうそよとの音もなく、調和を乱す一指の動きもなく、四囲の統一を破る一言も発せず、すべての行動を単純に自然に行なう――こういうのがすなわち茶の湯の目的であった。そしていかにも不思議なことには、それがしばしば成功したのであった。そのすべての背後
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