っても、立派な茶をたてるのにこれぞという秘法はない、ティシアン、雪村《せっそん》のごとき名画を作製するのに何も規則がないと同様に。茶はたてるごとに、それぞれ個性を備え、水と熱に対する特別の親和力を持ち、世々相伝の追憶を伴ない、それ独特の話しぶりがある。真の美は必ず常にここに存するのである。芸術と人生のこの単純な根本的法則を、社会が認めないために、われわれはなんという損失をこうむっていることであろう。宋《そう》の詩人|李仲光《りちゅうこう》は、世に最も悲しむべきことが三つあると嘆じた、すなわち誤れる教育のために立派な青年をそこなうもの、鑑賞の俗悪なために名画の価値を減ずるもの、手ぎわの悪いために立派なお茶を全く浪費するものこれである。
 芸術と同じく、茶にもその時代と流派とがある。茶の進化は概略三大時期に分けられる、煎茶《せんちゃ》、抹茶《ひきちゃ》および掩茶《だしちゃ》すなわちこれである。われわれ現代人はその最後の流派に属している。これら茶のいろいろな味わい方は、その流行した当時の時代精神を表わしている。と言うのは、人生はわれらの内心の表現であり、知らず知らずの行動はわれわれの内心の絶
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