えざる発露であるから。孔子いわく「人いずくんぞ※[#「广+溲のつくり」、第3水準1−84−15]《かく》さんや、人いずくんぞ※[#「广+溲のつくり」、第3水準1−84−15]《かく》さんや」と。たぶんわれわれは隠すべき偉大なものが非常に少ないからであろう、些事《さじ》に自己を顕《あら》わすことが多すぎて困る。日々起こる小事件も、哲学、詩歌の高翔《こうしょう》と同じく人種的理想の評論である。愛好する葡萄酒《ぶどうしゅ》の違いでさえ、ヨーロッパのいろいろな時代や国民のそれぞれの特質を表わしているように、茶の理想もいろいろな情調の東洋文化の特徴を表わしている。煮る団茶、かき回す粉茶、淹《だ》す葉茶《はぢゃ》はそれぞれ、唐《とう》、宋《そう》、明《みん》の気分を明らかに示している。もし、芸術分類に濫用された名称を借りるとすれば、これらをそれぞれ、古典的、ローマン的、および自然主義的な茶の諸流と言えるであろう。
南シナの産なる茶の木は、ごく早い時代からシナの植物学界および薬物学界に知られていた。古典には、※[#「木+余」、32−9]《た》、※[#「くさかんむり/設」、32−9]《せつ》、※[#
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