丈夫ですと言つて、どこまでも砂糖の殺菌力を信じてゐたやうである。それゆゑ砂糖でころす[#「ころす」に傍点]といふ言葉もあるひは田舎なまりかもしれない。ころす[#「ころす」に傍点]といふ字を辞書で見ると、「死なせる 命を断つ 圧しつけて小さくする 殺《そ》ぐ 減らす 抑へつけ十分に活動させない 質物を流す」等である。しかし魚を酢でころす[#「ころす」に傍点]といふやうな事はよく聞いてゐるから、あるひは民間にゆるされた言葉であつて、あながち田舎に限つたことでないのかも知れない。これは桃に砂糖をかける話からその歴史に疑ひを持つた私ひとりの内しよ話。
さて麻布の家の桃の連想から麻布谷町のある仕立屋さんの庭の林檎を思ひ出す。その麻布谷町といふところは今の箪笥町の近辺である、今でもその名の町はあるのだらうが、片側に氷川台の高い崖地があり、向うは霊南坂から市兵衛町につづく高台で、そのあひだに谷の如く横たはるきたないまづしい町で、その時分には溜池の方から六本木に出る今の大道路は影もなかつた。谷町といふ名の現はすやうにそこは陰気な感じの裏町で、自分たちの住む高台の町とは遠い世界のやうに子供心にも思つて
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