社交夫人で内外の食通であつたけれど、こんなやうな不断のお八ツはごぞんじなかつたやうに、砂糖でころす時間なぞ悉しく訊かれた。そんなことの後で私はふいと奇妙な感じを持つた。桃をこまかく切つて砂糖をかけて置くことは私の父が好物で、麻布の家のうら畑に一ぽんの桃があつたのが熟すとすぐ採つて小さくきざんで砂糖をかけて私たちみんなで食べた。それは古くからの日本桃で実も小さく、水蜜の熟さないもののやうに青白い色をして、しんに近いところが天津のやうに紅い色だつた。その時分はそんな桃でも、さうして味をつけ加へれば非常においしく、父が外国でさういふ風にして食べなれて来たものと思ひこんで、母に何もそんなことは訊かなかつた。しかし、ひよつとしたら、これは外国風のたべ物でなく、父と母の郷里の埼玉風のたべ方だつたのかもしれない。私の母や婆やなぞは迷信のやうに砂糖の効力を信じて、どんな酸つぱい物でも生水でも砂糖でころせば決してお腹にさわることがないと言つてゐた。おぼんの季節に下町の人たちが訪ねて来ると、まづ第一に深井戸の水を汲んで砂糖水にしてお客にコツプ一杯御馳走した。明治の或る年、コレラが流行した夏でも砂糖水なら大
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