なり、葱なぞは四五本も買へれば運がよいと思ふやうになつた。その貧乏生活が十年以上も続いて漸くこのごろはどんな食料でも手に入るやうになつて来たけれど、しかし店々にどんな好い物が出揃つても、大きな買物をすることは今度は私のふところ勘定がゆるさなくなつて、私の家の大きな鍋に三斤の肉の塊りとそれを包む葱を煮ることはまだまだ出来ずにゐる。
軽井沢の家では夏じうよいお菓子を備へて置くことも出来なかつたから、お客さんの時は果物のかんづめをあけることもあつたが、大ていの時は桃をうすく切つて砂糖をかけて少し時間をおいてからそれをお茶菓子にした。水蜜よりも天津桃《てんしんもも》の紅い色が皿と匙にきれいに映つて見えた。半分づつに大きく切つて甘く煮ることもあつたが、天津のなまのものに砂糖と牛乳がかかるとその方が味が柔らかく食べられる。天津《てんしん》は値段も味も水蜜よりは落ちる物とされてゐたが、ふしぎに夏のおやつにはこの方がずつと充実してゐた。戦後になつてからは天津《てんしん》はどこにも見えなくなつたが、惜しいやうに思ふ。T老夫人やH老夫人はそれをとてもおいしがつて食べて下さつた。この夫人方はお若い時からの
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