ゐたが、その町に私の家の仕立物をたのむ母と娘の仕立屋さんがゐた。その辺としては広い家で、古びた格子戸をあけると玄関の二畳があり茶の間の六畳が続いて、その奥に八畳、それから黒びかりする縁側、そのそとはかなり広い庭。三十坪か四十坪ぐらゐの庭にはいろいろな小さい木々が、桃や躑躅やかなめ、椿、藤、それから下草のやうなものがめちやに沢山しげつて、まん中に小さいお池があつた。それは水たまりといふよりはずつと立派なほんとうのお池で、緋鯉か金魚がゐたやうに覚えてゐる。そのお池の向うの、この庭のいちばん端のところに林檎の樹が二本あつて、大切に棚が出来てゐたやうである。古くからの日本りんごであつたから実が小さくて今の紅玉なぞの五分の一にも足りない大きさであつたが、仕立屋のお母さんは大事に大事にして、私なぞ子供のお客が行くとそれを取つて来て、皮をむいて小さく切つて小楊子をつけて出してくれた。この人たちは士族の家の後家と娘で非常にお行儀がよく、その林檎もきれいな青つぽい皿につけておぼんに載せて出したやうだつた。林檎のすつぱいこと、すつぱいこと、泣きたいやうなその味も、さてこの林檎がどんなに珍らしい物であるかを
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