つた。青い空としだれ桜と、その花を見る人たちもみんな古風な年寄やおかみさんが多く、非常に地味な清らかな感じがした。「さんざしぐれ」とかいふ歌の調子は知らないが、そんなやうなさびがあると思つた。
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丘のうへはしだり桜の花咲きみち東北のみやこ日も清らなる
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 そこを通りすぎて丘の中ほどにある政岡の寺といふのを見た。大きな辛夷の木が一ぽん立つてゐて、無数の白い花が青ぞらを覆ふやうに咲いてゐた。寺の中からはお線香のにほひがしてお経の声がもれて来る。ここに来てえらい政治家政岡の話を考へ、辛夷の花の下の古い寺を見ると、芝居に出る忠義の見本みたいなつまらない人形ではなく、彼女の本物はもつと美しくお色けもあり、時々は好ましい笑顔も見せたことと思はれる。すばらしい腕をもつてゐた人にちがひない。
 北の方の傾斜面から仙台の市《まち》を見下した。山々が昨日か一昨日降つたばかりの白雪を冠つて、向うからもこの市を見下してゐる。
 強い風が二三日ほど続いて花も散りはじめたといふ噂をきいたので、塩釜へは行かず仙台の市中を歩いてみた。
 広瀬川に添つた谷あひからいくつも道を曲つて大学教授たちの住む静かな部落に行つて見た。どこも一ぱいに花が咲いて、中にも二本の大きな桜が庭に咲いてゐる家を見た。その花々がすこし散り始めて、そのあたり人影もなく、午後の日ざかりに家々はしいんと眠つてゐるやうで、聊斎志異の物語に出てくる女の子や老人がそこのどの家かに住んでゐるかと思はれた。先生がたもかういふ静かな明るいところで本を読みながら年をとるのは幸福であらうと私には思はれた。
 帰りに坂を下りて近みちをするため大学のグラウンドのそばの橋をわたつた。二三日前から橋の修繕をしてゐるのを私たちの家の方から見てゐたが、今日は工事も片づいたらしく、渡つてゆく人が二人も三人も見えたから、私たちも渡つてみた。するともうすこしといふ所で、ほんの二三間だけまだ板が張つてなかつた。私たちは下駄をぬいで片手にぶらさげ片手で欄干につかまつて橋桁の上をのろのろ歩いた。下をのぞくと広瀬川の浅瀬の水が石に白くぶつかつてざぶざぶ流れ、学校がへりの子供が悪戯をする時のやうな気持だつた。
 四月十八日街で買物をして鐘紡でお茶を飲んでから外に出ると、ひろい道路の角に大きな紙が張り出され、敵機がはじめて東京の空に来たといふ報知が出てゐて、その前は一ぱいの人だかりであつた。私はFと顔を見あはせて「もうこれきり仙台に来られさうもないわ」と言つた。その広い四つ辻の向う角に行つて丸善の店にはいると、この一大事の報道を見た人たちであらう、この店にいつぱいはいつてゐた。みんなが当分は、あるひは永久に、触れることのできない外国のにほひに別れを惜しむために集つてゐたのであらうか? 銅の美しい蝋燭立や紳士用の雨傘、うす茶色のパジヤマなぞ、自分におよそ縁の遠い物まで私は手に取つて触つてみたが、買つた物は歯ブラシと浴用石けん、すこし色のあせた毛おりのスリツパ位なもので、本の店と言つてもこの時分となつては外国の本や雑誌は何も見えないやうだつた。
 私は二三日様子を見てから、ほんとうに仙台の町にさよならした。



底本:「燈火節」月曜社
   2004(平成16)年11月30日第1刷発行
底本の親本:「燈火節」暮しの手帖社
   1953(昭和28)年6月
入力:竹内美佐子
校正:富田倫生
2008年10月14日作成
青空文庫作成ファイル:
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