つたのはこの辺らしいのですとFが言つたが、けふは少ししぐれて、無人の野と山とに紅葉が散るばかり、「みちのく」は広すぎて東京人をみじめに感じさせた。途中で日がくれて鳴子《なるご》のもみぢも見られなかつたが、その代り紅葉見物の連中が四五十人ほど老若男女入り交つてみんなが紅葉の枝をかついで汽車に乗りこんで来た。酔つてゐる人が多く、歌つたりどなつたりして又すぐ下りて行つた。どこか近い温泉に行つて騒ぐためらしい。
 それから二三日して、こんどは少し遠く、石の巻まで行くことにした。電車の窓から松島の海つづきの青い波をながめて昨年の事を思ひ出した。「手樽」といふ小さい駅を過ぎて、駅の人が「テダル」と呼んでるのを私は手垂《てだる》といふやうに考へちがへて面白い名だと思つたが、手を垂れるのでなく手の樽であつた。どちらにしても好い名である。蛇田といふところはむかし戎夷《えみし》が叛いてこの上地に攻め入つた時、下野の勇将|田道《たぢ》が朝廷の命を受けて闘つたが、敵は強く田道《たぢ》は戦死してしまつた。それをこの土地に葬つた。あとでもう一度|戎夷《えみし》の兵が石の巻に攻め入つて田道《たぢ》の墓を掘りかへした
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