みちが遠いからと断つた。茶店の前をもう一度とほり過ぎて坂を下りかける辺に栗が沢山おちてゐた。あのをばさんもこの辺で拾つたのだらう。その坂道をまがる時、義経の高館の城跡が遠い田の中に見えた。永い年月をすぎては小さいつまらない丘である。その丘の向うの方にも大きな河が流れて、その河と、河の流れを隠す萱山のつながりとを見てゐるとき、荒涼たる自然にもうすつかり満腹したやうに感じた。さようならである。私たちは案内者にもここでお礼をして別れた。
「それではお先きに降《お》りまして、バスを止めて待たせて置きますから」と彼は大いにサービスしてくれた。
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たまきはる生命たのしみみちのくの鳴子《なるご》の山のもみぢ見むとす
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昭和十七年の十月、こんな歌を詠んで私は紅葉見物のつもりで出かけて行つた。たつた一年の月日に世の中はぐんぐん苦しくなつて来たが、それでもまだ私は紅葉を考へる心のゆとりを持つてゐた。仙台の駅は前の年よりもずつと電気が暗いやうだつた。
仔猫のおタマさんはかなり育つてさつそうたる若猫になつて、大きなリボンの頸輪をして私を迎へてくれた。
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