たりはひろびろとみちのく[#「みちのく」に傍点]ぶりの世界を見せてゐた。三時間くらゐ乗つてさびしい平泉の駅に降りた。バスがあるのでじきにお山まで行くことが出来たが、昔の旅びとは途中だけで疲れてしまつたらう。
物古りた杉の路をのぼるのである、かなり急な坂道で私はうしろからFに腰を押し上げてもらつた。のぼりきつてしまふと、杉はすくなくなり、大きなもみぢの葉がひらりひらりと散つて中尊寺の御本堂の前は明るい平地であつた。大きな茶店では絵はがきを売つてゐた。山の入口で案内者を頼んだので私たちは安心して山の中を歩きまはり金堂の前に出た。
金堂は素朴なちひさなお堂で、優雅なものだつた。宝の壺の中にひそむ古い香のにほひを嗅ぐやうに、古い古い事を考へてゐると、もろこしから伝へられて来た黄金文字の経文、三代の勇将たちのお骨を守つてゐる仏の御像、さういふ物のもつと裏の、もつと奥深いところに隠されたみちのく[#「みちのく」に傍点]藤原族のたくましい夢と救はれがたい悲願とは千年のちに生れた者の心にまで突きとほる。うろ覚えの歴史を考へてみても、一人の武将義経なぞのためにこの東北王の家がほろびたことはもつたいない無駄な事であつた。しかし、一人の義経なぞのためにと私は思ふけれど、何といつても源の頼義以来のなじみある奥州の土地で、清原藤原の強大な豪族の彼等であつても、天子のお血すぢの伝はる源氏の家を何かしら自分たち以上のものとして尊み仕へる習慣でもあつたらう。その源家の一人の大将義経を保護することは彼等の義理であり、光栄であつたのかもしれない。それに一族の英雄時代は過ぎて凡庸の当主の世になつて、あれほどあつけなく滅びたのであらう。それにしても藤原一族の生命であり、力であつた黄金が彼等の全滅後ただの一枚でも敵に発見されなかつたことはじつに愉快だつた。みんな使ひ果したのか、それとも何処ぞの山か谷の奥に彼等の宝庫が今も眠つてゐるのだらうか。夢と不思議のこもるお堂の前に立つて私はしばらく念じてゐた。「勇士たちよ、いま日本は戦争してくるしんでゐます。勇士たちよ、私たちは苦しんでゐます」と私は祈るともなく祈つてゐた。
すばらしい杉の大木のあひだをぬけて裏山の方へ出ると、向うの黄ろい草山のすそを大きな河が流れて水が白いしぶきを立ててゐた。
栗をうるをばさんに会つて「栗はいかが?」と訊かれたが、私たちは帰りみちが遠いからと断つた。茶店の前をもう一度とほり過ぎて坂を下りかける辺に栗が沢山おちてゐた。あのをばさんもこの辺で拾つたのだらう。その坂道をまがる時、義経の高館の城跡が遠い田の中に見えた。永い年月をすぎては小さいつまらない丘である。その丘の向うの方にも大きな河が流れて、その河と、河の流れを隠す萱山のつながりとを見てゐるとき、荒涼たる自然にもうすつかり満腹したやうに感じた。さようならである。私たちは案内者にもここでお礼をして別れた。
「それではお先きに降《お》りまして、バスを止めて待たせて置きますから」と彼は大いにサービスしてくれた。
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たまきはる生命たのしみみちのくの鳴子《なるご》の山のもみぢ見むとす
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昭和十七年の十月、こんな歌を詠んで私は紅葉見物のつもりで出かけて行つた。たつた一年の月日に世の中はぐんぐん苦しくなつて来たが、それでもまだ私は紅葉を考へる心のゆとりを持つてゐた。仙台の駅は前の年よりもずつと電気が暗いやうだつた。
仔猫のおタマさんはかなり育つてさつそうたる若猫になつて、大きなリボンの頸輪をして私を迎へてくれた。
一日やすんでから私たちはお弁当を持つて仙山線に乗つて出かけた。「山寺」の山のもみぢが朝日に美しい色を見せて、何となく中国《もろこし》といふ感じがするのを汽車の窓から見上げて、私にはとても上がれさうもないと思ひながら通りすぎた。山形に出るまでに私たちはおひるの食事をすました。窓にすぐ近いもみぢの山々を見ながら誰も乗客のない車の中で食事することは愉しかつた。山のすそにほそい川が流れてこれが海に流れてゆくまでには大きな名取川になるのだと教へられた。のりかへの千歳《ちとせ》駅で四十分ばかり時間があるので構外に出てみると、駅のすぐ側の茶店で食事をする人たちもゐた。どんぶりの御飯に煮魚。その大きなきり身の魚は幾度も煮しめて佃煮のやうにまつ黒くなつてゐた、それが東北の田舎らしい感じを見せてたのしかつた。私たちは大きな梨を買つた。今までにまだ見たことのないほど大きい、越後の大きな梨よりももつと大きかつた。茶店のそばの小川で漬菜を洗つてゐる主婦がゐたが、東京で四月ごろ採れるタカナに似て、たけの高い菜つぱで、これは冬菜といはれてゐるさうである。この冬じう彼等はこの漬物を朝も夕もたべるだらう。
ほかに誰もゐな
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