や、雷[#「雷」に傍点]も沢[#「沢」に傍点]も山[#「山」に傍点]も、さういふ象《かたち》だけはどうにか知つてゐて、おぼつかない素人易者はただもう一心に筮竹を働かしたが、そのうちに筮竹をうごかすことが非常に骨が折れて来て、人に教へられたまま小さい十銭銀貨三つを擲げてその裏面と表面で陰と陽を区別し、六つの銀貨を床《ゆか》に並べてその象《かたち》が現はれるままをしるした。この方が大そうかんたんであつた。
自分自身の身上相談をしたり、他人の迷ふことがあれば、それについて教へを伺ふこともあつて、私のやうなものがめくら滅法に易を立てて見ても、ふしぎに正しい答へが出た。また或るときはどうにも解釈のむづかしい答へもあつた。ある時、自分の一生の卦《け》を伺つてみようと思つたが、何が出るかその答へには好奇心が持てた。若い時から中年までの私の仕事はおもに病気と闘ふことであつたから(自身の病気でなく、良人の父の病気、良人の長い病気、義妹の長い病気、義弟の病気、それにともなふ経済上の努力、私はまるで看護婦の仕事をしに嫁に来たのだと、それを一種の誇りにも思つて殆ど一生そんな方面の働きばかりしてゐた。)たぶん
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