夷《えみし》らが叛いた時、上野の勇将|田道《たぢ》を大将として征伐させたが、その時の蝦夷《えみし》はひどく強く、田道《たぢ》は石の巻の港で戦死してしまつた。田道《たぢ》の家来が主人の手纏を取つて田道《たぢ》の妻に持つてゆくと、妻はその形見を胸に抱いて自殺し、この夫妻の死はひろく世間から惜しまれ手厚く葬られた。その後しばらく経つてまた蝦夷《えみし》が攻め込んで来て田道《たぢ》の墓を掘りかへした。すると墓から大蛇が出て来て多勢の敵をくひ殺した。喰はれなかつた奴らもみんな蛇の毒気にあたつて死んだ。石の巻の町に入るすぐ手前の畑に今でも「蛇田」といふ名所がある。「……五十八年の夏|五月《さつき》、荒陵《あらはか》の松林《まつばやし》の南の道にあたりて、忽に二本《ふたもと》の櫪木《くぬぎ》生ひ、路をはさみて末合ひたりき」と本に書いてある。それは田道《たぢ》が死んでから三年目の事であつたが、昭和の御代の或る年、私は仙台にゐた娘を訪ねて、松島から石の巻に遊びに行つた時、「蛇田」の中ほどに今でも一むらの松林があつて、田道《たぢ》の墓がそこにあるのを見た。これは大きい悪い蛇の話。
人間がだんだん殖えて世
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