ゐた。その時分私はさういふ家に出入りするやうな閑な身分であつた。戦争の始まるより十年以上も前で、古い話である。
B夫人はビフテキパイが好きで、日本人のコツクさんも夫人の味加減を心得て上手に作つてゐた。奥さんたちをランチによぶ時はいつもビフテキパイを主食に、あとは細かい物をつけ合せにした。はじめて呼ばれた時は秋で、晴ばれしたお昼どき。スープは蛤を白汁で煮たもの、それから大皿のビフテキパイ。ビーフは香ばしい香料と松茸でいり煮したものを、パイの皮に幾重にもはさんで焼いたもの。夫人はそれを幾つにも切つて客の皿に盛り、小物の皿をまはしてみんなが自由に取り分けた。小さい角きりの魚をてり焼らしく見せたもの(味は洋風)一口茄子の油煮、ずゐきの白ごま酢(サラダ代り)クツキースとコーヒ。それだけで、ほんとうのソーザイランチだと夫人は言つた。パイを何度もお代りして私たちみんな満腹したのを覚えてゐる。
次に招かれたのは春、スープは日本流の茶碗むし、白魚が一ぱい入つてゐた。ビフテキパイには初ものの生椎茸が混つてゐた。お魚はなく、揚ものは慈姑のおろしたのを玉子と交ぜて黄いろくあげた物。竹の子や蓮根をうま煮の色
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