けで煮つけて福神漬ぐらゐの色あひのもの、まづ葱の佃煮である、これをスープ皿に盛つたお粥の上にのせて食べる。宿屋のお勝手で教へられたとほり作つてみると、温かくて甘くすべこく誠によい舌ざはりであつた。ある時日本葱がなかつたので玉葱でやつてみると、日本葱より水つぽく、甘たるくてこのお粥には全然調和しなかつた。
 このごろ食べるものはそれ程くるしくないのできやべつのお粥なぞ久しく忘れてゐたが、これは今食べても中々おいしい。昔イスラエル国では正月の十四日から七日のあひだ酵《たね》いれぬパンの節《いはひ》といふのを守つて、神とモーセに依つてエジプトから救ひ出された時の記念にしたといふことであるが、私たちの最も苦しかつた時の記念にこんなきやべつのお粥とか砂糖なしの塩あんしることか、肉なしコロツケとかいふやうな献立を考へて、それもそれなりに愉しくおいしく食べてみたらどうかと考へる。お金を使へばきりがない。まるでお金を使はなければ生きてゆけない世の中である。何とかして健全に愉快に生きつづける工夫をしてみよう。
 乏しく苦しかつた日の記念日、何といふ名にしようか? それは祝ひ日であらうか、それとも命日みた
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