洋服論
永井荷風
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)新銭座《しんせんざ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)旧幕府|仏蘭西《フランス》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から2字上げ]
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○日本人そもそも洋服の着始めは旧幕府|仏蘭西《フランス》式歩兵の制服にやあらん。その頃膝取マンテルなぞと呼びたる由なり。維新の後岩倉公西洋諸国を漫遊し文武官の礼服を定められ、上等の役人は文官も洋服を着て馬に乗ることとなりぬ。日本にて洋服は役人と軍人との表向きに着用するものたる事今においてなほ然り。
○予が父は初め新銭座《しんせんざ》の福沢塾にて洋学を修め明治四年|亜墨利加《アメリカ》に留学し帰朝の後官員となりし人にて、一時はなかなかの西洋崇拝家なりけり。予の生れし頃(明治十二年なり)先考《せんこう》は十畳の居間に椅子《いす》卓子《テーブル》を据《す》ゑ、冬はストオブに石炭を焚《た》きてをられたり。役所より帰宅の後は洋服の上衣《うわぎ》を脱ぎ海老茶色のスモーキングヂャケットに着換へ、英国風の大きなるパイプを啣《くわ》
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