るひ》自分は昨夜《ゆうべ》降りた三門前で再び電車を乗りすて、先ず順次に一番|端《はず》れなる七代将軍の霊廟から、中央にある六代将軍、最後に増上寺を隔てて東照宮《とうしょうぐう》に隣りする二代将軍の霊廟を参拝したのである。この事は巳に『冷笑』と題する小説中|紅雨《こうう》という人物を借りて自分はつぶさにこれを記述した事がある。
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「紅雨の最も感動したのは、かの説明者が一々に勿体《もったい》つける欄間《らんま》の彫刻や襖《ふすま》の絵画や金箔《きんぱく》の張天井《はりてんじょう》の如き部分的の装飾ではなくて、霊廟と名付けられた建築とそれを廻《めぐ》る平地全体の構造配置の法式であった。
先ず彎曲《わんきょく》した屋根を戴き、装飾の多い扉の左右に威嚇的《いかくてき》の偶像を安置した門を這入《はい》ると真直な敷石道が第二の門の階段に達している。敷石道の左右は驚くほど平かであって、珠《たま》の如く滑《なめら》かな粒の揃った小石を敷き、正方形に玉垣を以て限られた隅々に銅《あかがね》の燈籠を数えきれぬほど整列さしてある。第二の門内に這入ると地盤が一段高くしてあって第一と同じ形式の唯《た》だ少しく狭い平地は直様《すぐさま》霊廟を戴く更に高い第三の乃《すなわ》ち最後の区劃に接しているのである。此処《ここ》にはそれを廻《めぐ》る玉垣の内側が他のものとは違って、悉《ことごと》く廻廊の体《てい》をなし、霊廟の方から見下《みおろ》すとその間に釣燈籠を下げた漆塗の柱の数《かず》がいかにも粛々《しゅくしゅく》として整列している。霊廟そのものもまた平地と等しくその床《ゆか》に二段の高低がつけてあるので、もしこれを第三の門際《もんぎわ》よりして望んだならば、内殿の深さは周囲の装飾と薄暗い光線のために測り知るべくもない。
この建築全体の法式はつまり人間の有する敬虔崇拝の感情を出来得べき限りの最高度まで興奮させようと企てたものでしかも立派にその目的に成功した大《だい》なる美術的傑作品である。
紅雨は生涯忘れない美的感激の極度を経験したと信ずる巴里《パリー》の有名なる建築物に対した時の心持に思い較《くら》べて、芝の霊廟はそれに優るとも決して劣らぬ感激を与えてくれた事を感謝した。そればかりでなく、彼はまた曲線的なるゴチック式の建築が能《よ》くかの民族の性質を伝《つたえ》るように、この方形
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