けれ。
[#ここで字下げ終わり]
という句がある。
自分が頻《しきり》に芝山内《しばさんない》の霊廟《れいびょう》を崇拝して止まないのも全くこの心に等しい。しかしレニエエは既に世界の大詩人である。彼と我と、その思想その詩才においては、いうまでもなく天地雲泥の相違があろう。しかし同じく生れて詩人となるやその滅びたる芸術を回顧する美的感奮の真情に至っては、さして多くの差別があろうとも思われぬ。
否々《いないな》。自分は彼れレニエエが「われはヴェルサイユの最後の噴泉そが噴泉の都の面《おもて》に慟哭《どうこく》するを聴く。」と歌った懐古の情の悲しさに比較すれば、自分が芝の霊廟に対して傾注する感激の底には、かえって一層の痛切一層の悲惨が潜んでいなければならぬはずだと思うのである。
ポンペイの古都は火山の灰の下にもなお昔のままなる姿を保存していた実例がある。仏蘭西の地層から切出した石材のヴェルサイユは火事と暴風《あらし》と白蟻との災禍を恐るる必要なく、時間の無限中《むげんちゅう》に今ある如く不朽に残されるであろう。けれども我が木造の霊廟は已にこの間《あいだ》も隣接する増上寺《ぞうじょうじ》の焔に脅《おびや》かされた。凡《すべ》ての物を滅して行く恐しい「時間」の力に思い及ぶ時、この哀れなる朱と金箔《きんぱく》と漆《うるし》の宮殿は、その命の今日か明日《あす》かと危ぶまれる美しい姫君のやつれきった面影にも等しいではないか。
そもそも最初自分がこの古蹟を眼にしたのは何年ほど前の事であったろう。まだ小学校へも行かない時分ではなかったか。桜のさく或日の午後《ひるすぎ》小石川《こいしかわ》の家《いえ》から父と母とに連れられてここまで来るには車の上ながらも非常に遠かった。東京の中《うち》ではないような気がした。綺麗な金ピカなお堂がいくつもあって、その階《きざはし》の前で自分は浅草の観音さまのように鳩の群に餌を撒《ま》いてやったが何故《なぜ》このお堂の近所には仲見世《なかみせ》のような、賑やかでお土産を沢山買うような処がないのかと、むしろ不平であった事なぞがおぼろに思い返される。
少年時代の幾年間は過ぎた。今から丁度十年ほど前、自分は木曜会の葵山《きざん》渚山《しょざん》湖山《こざん》なぞいう文学者と共に、やはり桜の花のさく或日の午後《ひるすぎ》、あの五重の塔の下あたりの掛茶屋《かけ
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