携へ帰られし江南の一|奇花《きくわ》、わが初夏の清風に乗じて盛に甘味《かんみ》を帯びたる香気を放てるなり。初め鉢植にてありしを地に下《くだ》してより俄に繁茂し、二十年の今日既に来青《らいせい》閣《かく》の檐辺《えんぺん》に達して秋暑の夕よく斜陽の窓を射るを遮るに至れり。常磐木《ときはぎ》にてその葉は黐木《もち》に似たり。園丁これをオガタマの木と呼べどもわれ未《いまだ》オガタマなるものを知らねば、一日《いちにち》座右《ざう》にありし萩《はぎ》の家《や》先生が辞典を見しに古今集|三木《さんぼく》の一古語にして実物不詳とあり。然《さ》れば園丁の云ふところ亦|遽《にはか》に信ずるに足らず。余|屡《しば/\》先考の詩稿を反復すれども詠吟いまだ一首としてこの花に及べるものを見ず。母に問ふと雖《いへども》また其の名を知るによしなし。此《こゝ》に於てわれ自《みづか》ら名づくるに来青花《らいせいか》の三字を以てしたり。五月薫風簾を動《うごか》し、門外しきりに苗売の声も長閑《のどか》によび行くあり。満庭の樹影|青苔《せいたい》の上によこたはりて清夏の逸興|遽《にはか》に来《きた》るを覚ゆる時、われ年々来青
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